Dairy of Sodacoconut

日々の事、ストーリーなど。

ブエノスアイレスでばったり(2013年)

 柊先輩はひどく臆病だった。人騒がせな事件ばかり起こしていて、話題が尽きることがなかった。手首を切る、なんてのは序の口だった。昔の小説に出てくる女学生みたいに艶やかな黒髪をたなびかせていたかと思えば、次の日には丸坊主同然のショートカットで現れたり、丸三日何も食べないばかりか一睡もせず、その間恋人に電話をかけまくって恋人をノイローゼにしたり(その恋人は不登校になった)、久々にクラスに来たかと思えば机に座ったまま日がな誰とも口を利かず、サルトルだのフロイトだのを読んでいたこともあった。それといつだったか夜の白銀公園で女の幽霊が出るという噂が近隣住民の間で広がった時、高校の同級生何人かが偵察と称して深夜の白銀公園の一角で息を潜めていた。その時彼らが目にしたのは、手を血塗れにして酒瓶を火にくべながら笑い叫ぶ先輩の姿だったというが、こいつはまあ幾分誇張が混じっているかもしれない。

いずれにせよ先輩はアナクロニズム極まる武功を着実に重ねて、非行少女の名をほしいままにしていた。けれど、そうした非行の数々に、僕としては、何か非行として結果的に認知されるのにそれ以上でも以下でもないような、世間の耳目を集めるのに至極妥当な、というか、つまりは根っこの部分では全く常識的な、優等生的な先輩の姿を透かし見てしまって、興味を引くのと同時に、弱冠白けたような、良く出来たお芝居を見ているような距離感があったのも事実といえば事実だったのだ。何しろ先輩は常識的で、そうして臆病だった。よくよく考えてみれば結局先輩は、自分を痛めつけることしかできないのだ。このわけのわからない、誰それと構わず死のエレベーター送りにする社会に、傷ひとつ付けることも出来やしないのだ。恋人を失ったのも、結果的には自分を少しずつ破滅に追い込んでいるだけで、よく手首を切るのと同じことだった。そんなのどこにでもある地獄の、どこにでも咲く花の類じゃないのか。僕は憤ってさえいた。先輩の紋切型の非行に、全てが忘れ去られ、なかったことにされるこの世界に、また、自らの臆病さを棚に上げながら、先輩に憤っている自分自身に...

 それは木曜日の放課後の事だった。